2008年正月旅行2日目
2008年1月1日
 今回紹介する主な行程
 1月1日
長野〜須坂〜長野〜上諏訪〜豊橋〜横浜〜東京〜(急行銀河)

 1月2日
(急行銀河)〜新大阪〜(特急あかつき)〜京都
 いよいよ2008年に突入した。新年早々長野駅の階段ですべるなどこの先ヤバイ一年と感じながら長電長野駅に向かっていた。長電8500系(元東急車)が終夜臨で走ることは、インターネットでもうすうす知っていたが、須坂まで100円でいけるので、思い切って行ってみることにした。車外、車内とも、東急時代の面影があり、東急電車に乗っている感覚だった。途中、善光寺下では、初詣客と思われる人が大勢乗ってきた。道路と併用している村山橋も渡り、長電に乗っていることを実感しました。この併用橋も近々なくなるそうだが、最後まで併用橋として活躍してほしい。須坂には車両基地があったので思わず目が行ってしまった。また、そこには2000系マルーン塗装やゆけむり(元小田急10000形HiSE)の姿もあり、写真を撮っていたら、長電の方に、「線路入ってもいいよ」と許可を頂き、線路で2000系やゆけむりを撮影した。しかもフレッシュ撮影まで許可を頂くこともできた。長電のスタッフには本当に感謝しています。新年早々ありがとうございました。2000系は、マルーンを強調した写真を撮ることができ、最高のお年玉になった。1000系のほうは雪に埋もれていたが、今度長電に乗るときはぜひ乗ってみたいと思った。その後、8500系で長野へ。




 せっかく元旦に長野に来たので善光寺に初詣に行った。善光寺下までは電車で移動した。善光寺下からはCATVを聴きながら徒歩で移動。長野市内は雪が積もっていた。善光寺には多くの初詣客で賑わっていた。また、出店等もあった。善光寺はじめ、除夜の鐘などを撮影した。善光寺は雪が降っていたが、雪の降っている善光寺もなかなかだった。今年もいい年になればと思った。体が冷えてきたので近くの食堂でうどんを食べ、体を温めた。また、せっかく長野に着たので、お土産やそばを購入。店も新年早々から頑張っていると思った。07年は豊川稲荷で初詣だったが、08年もいい初詣になった。09年はどこで初詣をするのかな?とふと考えた。





 善光寺で初詣を終え、長野駅へ。駅では睡魔に襲われ仮眠をとった。大体このころ朝4時。1〜2時間睡眠をとったあと、駅前のコンビニで朝食等を購入。そして、新年早々であるが、長野に来た一番の目的?である、新幹線スタンプラリー第四回あさまエリアのスタンプを押した。今回は紫のスタンプである。今回は大変そうなエリアから押すので、全部押すのも容易である。今回も全部押そうと思った。
 長野からはE257系(特急型電車)使用の快速で松本へ。その前に189系あさま色などを撮影した。189系あさま色、私自身、見れそうでなかなか目にする機会が無い列車である。今回じっくり撮影することができてよかった。今度は乗ってみたい。E257系で松本を目指す。車内は、リクライニングシートで、18きっぷで乗るには勿体ない座席である。車内からは日本三大車窓である善光寺平の車窓も見え、快適な移動をすることができた。松本に近づくにつれ雪が減ってきた。松本からは115系で上諏訪へ。上諏訪では足湯に浸かった。気持ちよくなり、もっと浸かっていたかった。その後、あずさ、スーパーあずさを撮影した。上諏訪からは、飯田線で豊橋へ向かいます。








 上諏訪からは飯田線経由で豊橋へ。車両は313系1700番台(フルカラーLED)だったが、上諏訪で313系を見たときは、313系は東海を制したような感覚になった。また、今回飯田線で乗車する列車は544Mで、某鉄道雑誌で停車駅数日本一と紹介されている列車である。左手に諏訪湖が見えたので、進行方向左手の座席に座った。辰野まではJR東日本の路線だが、東海の車両に乗っていても違和感が無かった。辰野からはいよいよ飯田線。飯田周辺まではのんびりしていた。それでも、篠ノ井線等とは違う景色に見えた。また、元善光寺の案内も見えた。対向車は119系が多く、119系がまだまだ頑張っていると同時に、313系が珍しく感じた。飯田では115系信州色(JR東日本車)の姿もあったが、ここはJR東海の管轄。そのためか、妙な感覚になった。どんどん長野県内を南下すると、自然豊かな景色になってきた。また、天竜川も見え、飯田線らしい景色になってきた。進行方向左側に座っていたが、右側に座るべきだったと後悔。長野県南の景色は自然豊かで、風景に釘付けになっていました。この日は、長野から普通、快速での移動であるが、長野県は広いことを実感しました。トンネルをくぐって静岡県に突入。静岡県内に突入しても緑が多かった。佐久間レールパーク(中部天竜駅)には、展示車両も見え、今度見てみたいという欲求が沸いた。また、このあたりは緑が豊かでも実は浜松市天竜区。とても政令指定都市の風景には思えないくらい自然が豊かさに浜松市にいる感覚は芽生えなかった。愛知県も、比較的のんびりしていた。しかし、豊橋に近づくに連れ乗客は多くなった。豊川では豊川稲荷の初詣客がドッと乗り込んできた。また、名鉄線も見えた。豊橋に着いたときは07年の正月旅行を思い出した。07年は名鉄を回ったなあ〜とつくづく思いました。豊橋までは長いようで短かった。正直313系を降りるときは少々淋しくなった。









 豊橋では、駅前を少々ブラブラしてから、夜行列車に乗るためにとにかく東京を目指した。途中浜松、静岡で乗り換え熱海へ。静岡県内(駿河・遠州)も今度ゆっくり観光してみたいと思った。熱海からはE231系で横浜へ。JR東日本エリアに戻ってきたと実感しました。途中横浜でみなとみらいを散策するために一旦桜木町へ。京浜東北線の移動だが、E233系の姿も見ることができた。みなとみらい散策、西へ向かう正月旅行では恒例?となっている。今回もランドマークタワーはじめ数々のスポットを撮影しました。今回は日本丸も撮影し、ますますみなとみらいが好きになりました。みなとみらいを散策後、209系で横浜へ、横浜からは211系で東京へ向かいました。東京からはあの名門夜行列車で西へ向かいます。


 この年の春のダイヤ改正では、おおさか東線が区間開業することなどの嬉しいニュースがある半面で、寝台急行銀河、寝台特急なは、あかつきが廃止になるという悲しいニュースもあります。私自身このニュースを知ったときはかなりのショックで、まだ受け止めることはできません。今回はこれらの列車に乗れるいい機会と思い、思い切って銀河を東京〜新大阪間、あかつきを新大阪〜京都間で乗車するとこにしました。
 東京駅10番線に着いたときはすでに青い客車の姿があり、大勢のファンがカメラを構え撮影をしていた。しかし、まだ機関車は連結されていなかったので、機関車が客車と連結されるシーンをビデオで撮影した。連結シーンも多くのファンがビデオやカメラを構えていた。余談だが、実はこの列車、EF65が牽引する最後の定期列車である。機関車が連結されてからはじっくりと24系を撮影した。方向幕、サボ、ナンバー、トレインマークなど、もちろん、車内も。また、E2系N編成とのツーショットも撮影。私自身も銀河とのツーショットを撮影した。銀河、こんなにじっくりと撮影したことはない。
銀河 行き先表示

急行銀河とE2系N編成ツーショット

急行銀河 最後尾

急行銀河 トレインマーク

銀河 行き先案内

急行銀河 車内

 23時になり、銀河は東京駅を後にした。この日はA、B寝台ともに満席で、この列車の人気を物語っていた。発車した後も車内を探索していた。その後、車内で夕食を食べ、酒などを飲み、リラックスモードに入っていた。途中、品川、横浜、大船で停車した記憶はあるものの、それ以降の記憶はなく、気がついたら眠っていた。朝目覚めるとそこは京都付近だった。新大阪まであと少しだった。普段京都線は新快速でしか移動しないから、銀河での移動は一味違う感覚だった。正直まだ横になっていたかった。新大阪までは短かった。本当は終点の大阪まで乗っていたかったが、そうするとあかつきに乗れなくなるので新大阪で下車。新大阪駅で221系などの姿を見て関西に来たことを実感しました。銀河が大阪に発車する姿を見送ってからあかつきのホームへ。新大阪でも銀河やなは・あかつきを撮影している人がいた。
EF65牽引寝台急行銀河 先頭部


EF66牽引寝台特急なは・あかつき 先頭部 新大阪にて

 新大阪からはあかつきのレガートシートで京都へ。EF66の姿が勇ましかった。EF66に牽引されての移動は初めてである。レガートシートを思いっきり倒しての移動、かなり快適で、短距離の移動では物足りなかった。しかしそれがもうできないとなると残念で仕方がない。また、あかつきから見える景色、対向車、京都総合車両所など、どれも最高に見えた。また沿線にはカメラを構えていた人もいた。快適に移動できて何よりである。また利用したいと思った。京都でも多くのファンがカメラを構え、なは、あかつきを撮影していた。今は廃止になった「あかつき 佐世保」の方向幕も見ることができ、今となっては貴重な収穫を得ることができた。
あかつき レガートシート車内

あかつき レガートシート 座席

あかつき トレインマーク

あかつき レガートシート ロビー

なは・あかつき ヘッドマーク

あかつき テールマーク

レガートシート ロゴ

EF66牽引寝台特急なは・あかつき 先頭部 京都にて

EF66と14系あかつき 連結部

あかつき 行き先案内(佐世保)

なは テールマーク

なは 最後尾

 今回、銀河、あかつきを利用して、まだまだ生き残れる余地はあると思いました。寝台車の場合、横になって移動でき、座席移動よりも疲れが取れました。横になって移動できる陸の交通手段は日本では鉄道のみの特権です。今回利用して私は寝台料金払う価値はありました。寝ながら移動できるメリットを多くの人が知っていれば、もっと多くの利用者がいると(いたと)思います。また、レガートシートも同様で、生き残る余地は多々あります。正直日本のすべての寝台列車に連結ほしい車両です。寝台車に比べ安価なのを売りにすれば、寝台車の乗客も増えること間違いなしです。なはからは外れて、あかつきだけなのが勿体ない気がしました。
 確かに機関車、客車とも国鉄時代の車両で、これからもずっと使い続けるとなると、メンテナンスや老朽化などいろいろな問題が出て使用できなくなると思います。寿命での車両引退は仕方がありません。ですが、今回、これらの列車を利用して列車ごと廃止にするには勿体ないと思いました。銀河にせよ、なは・あかつきにせよ新車(理想は客車で)を導入したりもっとPRをすれば利用者も増えると思います。寝台列車が年々減少していくのは悲しくて仕方がありません。正直これ以上は減ってほしくありません。むしろ、一度廃止になった列車を復活させたいくらいです。2008年春、銀河、なは、あかつきが廃止になりますが、いつか復活することを願っています。

最後に、頑張れ、寝台列車!!

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